ザブン、と湯船につかると、唐突にいろんな思いが脳裏に浮かんでくる。
今日も、九十九里の温泉健康ランドの露天風呂に浸かるや、
(重厚長大、軽薄短小)
という言葉が浮かんできた。
たぶんメタボのおっさんを目にしたせいだろう。
パソコンやテレビを持ち出すまでもなく、時代はどんどん「軽薄短小」に向かっている。
機器に限らず、成熟した先進諸国は「小さな政府」を目指している。
長らく続く小顔ブームも、ダイエットによるスリム化も、こうした人類のトレンドと無縁ではないのではないか。
高度経済成長期、日本は産業界をあげて「重厚長大」を目指した。
このトレンドにあって、メタボのおっさんは、
「恰幅がいい」
と賞賛され、スリムな男は、
「貧相だ」
とマイナス評価された。
メタボがヤリ玉にあげられるようになったのは健康志向のあらわれである、というのは当たらない。
健康によかろうが悪かろうが、人間は理屈でなく、「そいう気分」にならなければ節制をしないものであるからだ。
いまの時代、若者が〝小市民的〟になったといわれる。
なるほど、ホラを吹く若者に会ったことがない。
ホラどころか、老後がどうした、安定した会社に勤めたらどうとか、将来の夢さえ語らない。
だが、若者を非難してはいけない。
若者の「大志」が「小志」になってしまったのは、「軽薄短小」のトレンドであることを思えば、当然なのである。
むしろヤバイのは、「重厚長大」を引きずっている我ら中年以降の世代だ。
人間関係や生活スタイル、人生観を含め、すべてにおいて、もっともっとシンプルにスリムに生きなければ、時代に取り残され、哀れな晩年になるだろう。
と、ヒマにあかせ、そんなことを湯船でつらつら考えたのであった。
若者はなぜ〝小市民的〟になったのか
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