チャンスとは〝マッチの火〟のようなものではないのか。
子供たちの夏期合宿の写真が道場に貼ってあるのだが、キャンプファイヤーの写真を眺めているうちに、そんな思いが唐突に浮かんできた。
マッチの火は、それ自体はすぐに消えてしまうので役に立たないが、点火することによって、キャンプファイヤーという大きな力になる。
ただし、マッチでは薪(まき)に火をつけることはできない。
そこでマッチをすり、灯油をしみこませたトーチに点火し、トーチで新聞紙や小枝などを燃やし、その火で薪を燃え上がらせるのである。
チャンスも同じだ。
その到来は、マッチの火のごとく何の力も発揮しないが、ひとたび可燃物に点火すれば燃えさかる炎になる。
そのためには、チャンスを急いでトーチに点火しなければ、消えてしまう。
だから事前に、トーチに灯油をしみこませておかなければ、いざマッチというチャンスが到来しても、燃えさかる炎にはならないのである。
すなわち努力とは、チャンスの到来に備え、トーチに灯油をしみこませることを言うのだと、キャンプファイヤーの写真を見ながら思ったのである。
努力のないところに、どんなチャンスが来ても、燃えさかる炎にはならないのだ。
マッチの火と、キャンプファイヤー
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