《時は金なり》という諺(ことわざ)がある。
私はこの諺を〝時給的〟にとらえていた。
「時間を有効に使って生産性を上げれば、それだけ利益を生む」
という考え方だ。
この諺の意味について辞典を引くと、
《時間はお金と同じように大切な価値がある》
とあるから、この解釈は正しい。
だが最近、
(ちょっと待てよ)
と思うようになった。
《時は金なり》とは、
「時間は、お金と同じに考えよ」
ということではないのか、と思うようになったのである。
たとえば時間に追われるのは、「資金繰り」と同じで、時間という「予算」の立て方と使い方が悪いのだ。
時間がなくなってきて徹夜で仕事をするのは「借金」と同じで「借時」なのだ。
あるいは、予定より前倒しで仕事を片づければ時間に余裕ができ、これが「時間の貯蓄」となる。
すなわち、時間はお金と同様、予算をきちんと立て、ムダ使いをなくすことが大事というのが、《時は金なり》の真意ではないかと考える次第。
お金がなくてピーピーするのが「金欠病」なら、時間が足りなくてヒィーヒィーするのは「時欠病」。
さらに「お金ビンボー」に「時間ビンボー」。
ビンボーは経済的な意味だけではないのだ。
「お金ビンボー」と「時間ビンボー」
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