昨日、気学鑑定家で、広島在住の知人が上京したので、久しぶりに歓談した。
気学とは、いわゆる方位の吉凶のことだが、私が籍を置く浄土真宗では、占いのたぐいを一切否定するので、それぞれの立場から「幸せになる法」について論じあった。
浄土真宗と気学。
方法論においては、双方が否定し合うのだから「水と油」だが、「幸せになる」という結論は同じなのである。
私は考えさせられた。
方法論が「水と油」でありながら、同じ目的地に着けるものだろうか。
すると知人は、
「山頂に登る道が違うだけだ」
と言った。
(なるほど)
と思ったが、あとで考えてみれば、これはレトリックであることに気づいた。
なぜなら双方は、
「その登山道では山頂にたどりつけないよ」
という〝方法論の否定〟で成立しているからである。
そして、こうしたレトリックは日常において、よく用いられていることに思い至った。
「キミの意見は間違っている」
「いや、キミの意見こそ間違っている」
議論が白熱したところで、第三者が口を開く。
「まあまあ感情的にならないで。二人とも、よりよい結論を求めているということにおいて、目的は同じなんだから」
よりよい結論とは「相手の意見を否定すること」であるにもかかわらず、
「目的は一緒」
という言葉でまとめてしまうのである。
気学鑑定家との議論で考えたこと
投稿日: