人生は「ベスト」をめざすのではなく、「ベター」で十分とすべし。
完璧を望むのは「欲」であり「執着」であり、「ベスト」であろうとするところに苦しみが生まれる。
とまァ、『良寛』の「清貧の生き方」を書いていて、そんなことをつくづく思ったのだが、そう思いつつも、「完璧」をめざして執着している自分に気がついた。
通販でフンドシを買ったのである。
このところ着物が気に入ってよく着ているのだが、〝和風〟ならフンドシであるべきだろう。ブリーフでは〝和洋折衷〟になってしまうではないか。
そう思うと、ブリーフもデカパンも何だか身体になじまないような気がしてきて落ち着かず、フンドシを買ったというわけである。
穿(は)いてみると、これが爽快なのだ。
爽快すぎて頼りなく、
(やっぱりブリーフかなァ)
という後悔の念と、
(いや、大和男の子はフンドシだ)
という思いがせめぎ合いつつ、「完璧」を目指すのは苦しみの元であることを、身をもって体験しているというわけである。
たかがフンドシと笑うなかれ。
フンドシを穿いてみて、私は完璧を目指すことの愚かさを、しかと確信したのである。
フンドシで悟った「人生観」
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