歳時記

「おバカなキャラ」について考えた

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「笑わせる芸人」と「笑われる芸人」とは、似て非なるものだ。
 前者の笑いは芸であり、後者のそれは嘲笑である。
 だから「おバカなタレント」に私は関心がなく、雑誌で拾い読みすることはあっても、テレビで観ることはなかったのだが、たまたま年末年始のバラエティー番組で「おバカなタレント」を初めて見て、考えが変わった。
 彼らは「笑われる」だけで「笑わせる芸」はないと思っていたが、そうではなく、
(笑われることで、笑わせているのではないか?)
 そんな思いがよぎったのである。
 もし、そうだとすると、
(これもまた立派な芸ではないか)
 と思う一方、
(いや、違う。それは買いかぶりだ)
 と、唐突に畑の野菜が脳裏に浮かんできたのである。
 つまり「おバカなキャラ」は、たとえて言えば畑で抜いたばかりのニンジンやダイコンのようなもの。「芸」という調理は一切なく、素材勝負。泥を指先で落として、ダイコンにかぶりつき、
「わッ、甘い!」
 と簡単しているようなものではないのか。
 なるほど、採れたて野菜は調理しないがゆえに、新鮮でうまい。
 だが、だからとって毎日、畑のダイコンやニンジンにかぶりつくだろうか。
 そうはなるまい。
 食材は、やはり料理してこそうまいのだ。
 となれば、「おバカなキャラ」は一過性のものだろう。
 それで当人が是とするならかまわないが、芸能界で生き残るのは至難のワザだ。
 生き馬の目を抜く芸能界にあっては、やはり芸を磨くという王道を歩んでこそ大成し、生き残っているのだと私は思う。
《往(い)くに小径(こみち)に依(よ)らず》
 という言葉がある。
 人生も仕事も、近道を求めず、遠回りしても王道を歩めという意味だ。
「おバカなキャラ」をテレビで観ながら、ややもすると近道を求めたがる自分を反省したのである。

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