今朝、畑に行くクルマのなかでのこと。
「いやァ、薬がよう効いてのう。朝までぐっすりじゃった」
84歳の親父がバカにご機嫌で、後部座席からペラペラと安定剤の効能についてしゃべり始めた。
「眠れてよかったじゃない」
女房の相槌が〝火に油〟となり、畑に着くまで親父のペラペラは続いていた。
「眠りが浅くて、すぐ目が覚める」
と、親父がブツブツ言い出したのは、先月の中旬だったろうか。
「昼寝をするからじゃないのか」
私が言うと、
「そうじゃない」
親父はムキになって、
「夜、眠られんけん、昼に寝とるんじゃ」
さすが私の親父である。
(ナルホド、ものは言いようじゃわい)
と妙な感心をした。
仏陀(ブッダ)とは「目覚めた人(さとり)」という意味だが、お釈迦さんは仏陀になる前はゴーダマシッダールタと言った。
この名前をもじって、私は〝夜、目覚める親父〟のことを「爺っちゃまシッダールタ」と名付けていたのである。
その「爺っちゃまシッダールタ」が、医者で安定剤を処方してもらってから、目覚めなくなったというのである。
惜しいではないか。
もう一息で、〝さとり〟を得て、ブッダ(目覚めた人)になれたのに……。
そんなことを考えながら、畑を耕していると、そうと気づかずイモリを鍬で殺してしまったのである。
かわいそうなことをした。
ナンマンダブと念仏を称えてから、
(おまえが草の陰にいるから悪いんだぞ)
とイモリに告げて、ふと気がついた。
小動物を殺してさえ、「おまえが悪い」と、私は自己正当化しているのだ。
「夜、眠られんけん、昼に寝とるんじゃ」
とムキなった「爺っちゃまシッダールタ」と同じではないか。
どんな身勝手なことをしても、理屈はついてまわる。
そして、それぞれの理屈が、
「わしは正しい」
と主張し合うのだ。
人間社会というのは、何と厄介で、滑稽で、そして愉快なことか。
そんなことを思いながら、2時間ほどかけて畑を耕して帰った。
ブッダと、親父と、屁理屈と
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