今朝――と言っても、日付が変わって昨日の朝、写真家の齊藤文護氏のアトリエへ出かけた。
リニュアルするホームページ用に、私の写真を撮ってもらうためだ。
齋藤文護氏は、通称「ブンゴちゃん」。2001年の『カンヌ国際広告賞』をはじめ『毎日広告デザイン賞グランプリ 』『ニューヨークADC賞』『ニュ-ズウイ-ク企業広告賞』『朝日広告賞』などを受賞する大家で、私の写真など頼める人ではないのだが、まっ、友人のよしみでお願いした次第。
「仕事じゃないんで緊張するな」
ファインダーを覗き込みながら、ブンゴちゃんがつぶやく。
彼のこういうところが、私は好きなのだ。
もっとも、「緊張する」という言い方は彼のやさしさで、凡庸な被写体に頭を悩ませてのつぶやきだったのだろう。
『船場吉兆』の〝使い回し〟が連日報道されている。
パート従業員までその事実を知りながら、なぜ十年近くも発覚しなかったのだろうか。
そこが、私には不思議でならない。
「ここだけの話だけどさ」
辞めた従業員なら、そう言ってこの秘密をバラすだろうに、よく黙っていられたものだ。
従業員も、元従業員も、
「『吉兆』で働いている」
「働いていた」
というステータスを守ろうとする意識が働くのだろうか。
これが『居酒屋』であれば、ウワサはたちまち広がり、とっくに表沙汰になっていたろう。
それと、もう一つ。
「『船場吉兆』ですら〝使い回し〟しているとなれば、他の料理屋は……」
という懸念の声が起こらないのはなぜだろう。
「あの店なら、さもありなん」
と、老女将のイメージに引きづられてのことであれば、本質を見落とすだろう。
いま日本社会は「信頼」が揺らいでいる。
「このままではいけない」
と考えるか、
「正直者がバカを見る」
と、うまく立ちまわるほうにまわるか。
どっちに振れるかで、日本社会は大きく変わっていくだろう。
その分水嶺に私たちが立っていることを『船場吉兆』の一件は突きつけているような気がするのだ。
船場吉兆が私たちに突きつけるもの
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