歳時記

宮本武蔵に見る「目的は手段を正当化する」

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 剣豪の人気ナンバー1と言えば、宮本武蔵だ。
 人気の理由はいろいろあるが、私が惹かれるのは、武蔵の剣を極めんとする「孤高の求道精神」である。
 空手を修行する一人として、武蔵はカッコいいのである。
 だが一方、意地悪く観点を変えると、
(でもなァ)
 という思いもないではない。
 たとえば、巌流島の決闘。
 約束の時間にわざと一刻(二時間)も遅れて、佐々木小次郎を焦(じ)らしている。
「へぇ、武蔵って頭いいじゃん」
 と、私も昔は感心したものだが、よくよく考えてみれば、正々堂々の態度とは言い難い。
 ありていに言えば、姑息である。
 姑息な手段は、日本人がもっとも嫌うタイプであるにもかかわらず、武蔵は英雄として絶大なる人気を博している。
 なぜか。
 小次郎に勝ったからだ。
 勝ったから、
(なるほど、武蔵はたいしたものだ)
 と、その戦略が賞賛されたのである。
 これがもし、小次郎に〝燕返し〟で斬り捨てられたとしたらどうだったろうか。
「正々堂々と戦えばいいものを、姑息なことをするから負けるんだ」
 嘲笑されたことだろう。
 歴史が勝者によってつくられるように、この世は常に「勝者が正義」なのである。
 武蔵fは剣の求道者という〝観念的なイメージ〟が強いが、実は徹底したリアリストで、かの『五輪書』に、武蔵はこう書いている。
《物毎(ものごと)の損得をわきまゆること》
《役に立たぬ事をせざる事》
 損得を考えて行動せよ、とは求道者らしからぬ言葉であるが、ここまで徹底しなければ勝負には勝てないということでもある。
 すなわち「目的は手段を正当化する」――これが宮本武蔵が説く勝負の極意と言えるだろう。
 イヤなことだが、これが現実である。
 この現実をまず、私たちは肝に銘じ、その上で、自分はどう身を処していくかを考える。
 これを「現実的人生観」と、私は呼ぶのである。

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