今朝、久しぶりに畑へ出かけた。
例によって指南役の親父と、収穫担当の女房と、私の3人である。
今日の目的は、そろそろジャガイモを植える時期なので、その準備だが、畑へ着いて、指南役がガッカリした声を出した。
「ああ、豆が全滅じゃあ」
なるほど、豆が枯れかけている。
「霜がひどかったけんのう」
と、指南役は残念がりつつも、
「しょうがないわい」
と納得している。
私も、
「おお、しょうがない、しょうがない」
女房も、
「しょうがないわねェ」
みんなで、サバサバと「しょうがない」を連発し、納得している。
これが農家であったら、「おお、しょうがない」ではすまない。
趣味の菜園だから、
「まっ、いいか」
と、あきらめがつくのだ。
で、ふと思った。
(仕事が趣味だったらどうか?)
「キミとは今後、取引はしない」
得意先に断られても、
「しょうがないのう」
「おお、しょうがない、しょうがない」
お気楽なものだろう。
ならば「人生」もしかり。
どんな不幸な目にあっても、
「ああ、全滅じゃ」
「おお、しょうがない、しょうがない」
気楽なものである。
と言うことは、仕事も人生も「趣味」にしてしまえばいいのだ。
もちろん、現実にはそうはいかない。
ノンキに「しょうがないのう」ではすむまい。
それは、承知している。
だが、人生を「趣味」に見立てようと〝努力〟することはできるのだ。
江戸人の生き方は「人生、物見遊山」というものだった。
人生を楽しもうとする生き方だ。
日々が楽しいのではなく、楽しもうとする、その生き方が、「人生、物見遊山」なのである。
山あり谷あり、苦あり楽ありの我らが「人生街道」を、ノンキに物見遊山しながらテクテクと歩いていけるか。
いや、物見遊山しようと努力できるかどうか。
ここに人生を楽しく生きる要諦があるよに、私は畑で思ったのである。
人生街道、テクテクと物見遊山
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