歳時記

仏教の勉強会で、反省しきり

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 浄土真宗の勉強会で京都に滞在している。
 講義を聴いていると、「なるほど」と膝を打つ。
 実によくわかるのであるが、ホテルの自室に帰って、復習しようとノートを開くと、何がナルホドだったのか、よくわからない。
 まして、
「じゃ、ひとつ、わしにも説明してくれんか」
 と言われようものなら、ただ静かに笑うのみとなるのである。
 私は空手や古武道の指導で、大人の会員には、
「わかることと、できることは違う」
 と口うるさく言う。
 大人は「頭」で技をとらえようとするので、
「なるほど」
 と膝を打ったところで、技を覚えたような錯覚に陥り、それ以上の精進を積まなくなる。
「それではだめだ」
 と私は戒めるわけだが、私もまた真宗の勉強会におて、大人会員と同様の錯覚に陥っていることに気がついた。
 教義という「技」は、頭で理解するのではなく、心でとらえるものであることを反省した次第。
 仏教について、表面的な能書きなら私にも言える。
 だが、私の話をきいて、真の意味で「なるほど」と腑に落ちる人が何人いるだろうか。
 
「それではだめなのだ」――と、いまホテルの一室で深く反省をしつつ、午前九時から始まる講義の準備をしているところである。
 

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