歳時記

「白い恋人」事件と、一罰百戒の幻想

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 チョコレート菓子『白い恋人』の賞味期限改ざんが発覚したとき、みなさんはどんな思いを抱いたろうか。
「またか」
 というより、
「不二家やミートホープなど、あれほど偽装事件が騒がれていながら、まだやっていたのか」
 という思いではなかったか。
「バカなやつだ」
 と、84歳になる私の父親も、したり顔で批判しているところを見れば、これが世間の共通した感想だろう。
 
 なるほど、石屋製菓の社長は、「バカなやつだ」と嘲笑されても仕方がない。
 10年も前から賞味期限を偽装していたということは、この間、山一証券の問題から雪印、不二家、ミートホープなど、相次いで偽装が発覚し、結果、会社がどういうことになったかわかっているのだから、
「バカな社長だ」
 と、私も思う。
 だが、ここで私たちが考えるべきは、
「偽装事件が、あれだけ社会問題になってなお、なぜ後を絶たないのか」
 ということではあるまいか。
「自分のところはバレないだろう」
 と、タカをくくっていたかもしれないし、悪いと知りながら、なんとなくズルズルということもあるだろう。
 だが私は、それは枝葉末節的なことであって、真の原因は、
「人間は結局、変わらない」
 ということにあると思うのだ。
 たとえば、学校教師による買春事件がそうではないか。電車内で痴漢した公務員がそうではないか。横領事件がそうではないか。
「くだらないことで一生を棒に振って、バカなやつだ」
 と嘲笑するが、一向に後を絶たない。
「そういうことをすればどうなるか」
 ということを知っていながら、人間は愚かな行為を繰り返すのである。
 戦争を持ち出すまでもなく、人間は「過ち」を繰り返す。
 性懲りもなく繰り返す。
「だからしょうがない」
 と、私は言うのではない。
「人間は愚かである」ということを、しっかりと認識し、「過ちは何度でも繰り返す」ということを、我が身にはっきりと言い聞かせるべきだ、と言っているのだ。
 なぜなら、自分の愚かさを認識することによって、それが抑止力になるからである。
 このことは、犯罪に限らず、私たちの日時用生活の処し方にも言える。
「誰もが我が身がいちばん可愛いのだ」
 ということを自分に言い聞かせ、
「人間は人をうらやみ、ねたみ、嫉妬するのだ」
 という〝醜悪な心〟を認めて初めて、自分を律することができると、私は考える。
 すなわち、煩悩(ぼんのう)という自己中心的な考えは、それを克服しようとするのではなく、
「人間はそうした生き物である」
 と認め、それを〝飼い慣らしていく〟ことによってのみ、幸せになれるのである。
 なぜなら煩悩は、すべての人間に備わり、死ぬまで決して削ぎ落とすことができない業(ごう)であるからだ。克服できないものを克服しようとすれば、結局、残るのは自己嫌悪である。
 だから、菓子『白い恋人』の不祥事を嘲笑するのは、実は、自分を含めた人間の存在そのものを嘲笑することでもあるだ。
 一罰百戒という言葉がある。
 一人(あるいは一つ)を罰することによって、広く戒(いましめ)にするという意味だ。
 だが、『白い恋人』たちの一件を見ればわかるように、一連の企業犯罪とその罰が教訓になっていないことが、よくわかるだろう。
 すなわち、人間に煩悩がある以上、「一罰」は決して「百戒」にはならないということなのだ。むしろ私は、「一罰」が「百戒」になると考えるところに、人間の愚かさがあると思うのである。

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