周知のように、久間元防衛相は「しょうがない発言」で辞任に追い込まれた。
マヌケな失言もさることながら、辞任に臨んで見せたヘラヘラ笑顔はもっとマヌケだ。
自民逆風のなかで、この発言と態度は、
(アホじゃないか)
と、多くの国民があきれたことだろう。
そこで、『失言』とは何かについて考えみた。
意味を手許の辞書で調べると、
《言ってはいけない事を、うっかり言ってしまうこと》
とある。
とすると、久間元防衛相の「しょうがない」発言も、柳沢功労相の「女性は子供を産む機械」発言も、
《言ってはいけない事を、うっかり言ってしまった》
ということになる。
すなわち、論理的には、彼らの発言は《言ってはいけない事》であって、《間違い》であるとは限らないということになる。
では、《言ってはいけない事》の定義は何か。
それは「立場」である。
正しいか、間違っているかに関わらず、「その立場において言ってはいけない事」――これが『失言』ということになる。
久間元防衛相も、柳沢功労相も、「(政治家として)言ってはいけない事を、うっかり言ってしまった」ということなのである。
だから非難されたのだ。
「そんなの当たり前じゃん」
と言ってはいけない。
「立場」を忘れた『失言』は、政治家に限らず、我々も同じなのである。
たとえばヤンキー嬢が、
「オヤジ、うざったいんだよ!」
と罵声を浴びせても、世間は眉をひそめはしても、非難はすまい。
ところが同じセリフを、深窓のご令嬢が発すると、
「まァ、なんてことを!」
非難される。
すなわち『失言』になる。
女子高をつかまえて、酔っぱらいが、
「おッ、でっけぇオッパイだな」
と言っても、たわごとですまされるが、教師が言えば大問題になる。
上司が部下の女子社員に、
「キミ! 男と夜遊びが過ぎるんじゃないのか!」
と叱責すればセクハラだ。
チンピラが、
「人生、恐喝だ!」
と言っても世間は納得だが、サラリーマンが言えば、即刻クビになるだろう。
坊主が、
「世のなか、やっぱお金です」
と冗談にも言えば、大ヒンシュクである。
これが世間であり、『失言』になるかどうかは、「立場」が大きく影響するということなのである。
ならば、冗談ひとつにしても、自分がどういう「立場」にあるかを考えて言う必要がある。
久間失言を「アホなやっちゃ」と笑う前に、「自分の失言」について考えてみるのも大事なのではあるまいか。
自戒しつつ、久間失言のニュースを見ていた次第。
久間元防相の一件で「失言の本質」を考える
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