歳時記

警察官の殉職に想う

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 SAT隊員が殉職した。
 物静かで落ち着いた青年。警察学校は首席で卒業――。殉職した愛知県警機動隊の林一歩巡査部長は、そんな警察官だったという。警察官採用後に柔道を始め、3年間で3段を取得。努力家であったとも報じられている。
 23歳の若さだった。
 妻と、生まれたばかりの長女がいる。
 言葉もない。
 過労死や建築作業など、仕事で命を落とす人は少なくない。
 気の毒だと思うが、それは「自分の職」に殉じたのである。だが警察官や消防士などの死は、「国民」に殉じるのである。ここに私は、崇高な志を思う。
 一方で、ニートやフリーターがいる。
 私は保護司をしているので、そうした青年と接する機会は多い。彼らの生き方が悪いとは思わないし、自分の人生だ。好きに生きるべきだと思うが、ならば「格差社会」を口にしてはなるまい。
 ところが、現実はどうだろうか。
 周知のように「若者の格差」がクローズアップされるようになってきた。「インターネットカフェ難民」がメディアで取り上げられるのは、そうした社会風潮を如実に物語っている。
 だが、まさにその一方で、林巡査のように職務に殉じる若者もいるのだ。格差社会の論議の一方で、その事実を、私たちは忘れてはならない。
 人間は等しく平等であるという。
 僧籍を持つ者として、それはわかる。わかるが、未熟ゆえ「本当にそうだうか」という思いが捨てきれないこともまた、事実である。
 物書きとして、僧籍にある者として、かねて「殉職」が頭から離れないでいる。人間が職務に殉じるとはどういうことなのか――。職責を媒介して、生きること、死ぬことというテーマを模索し続けているが、このことを理解してくれる編集者は少ない。
 IT長者の若者、ニート、フリーター、そして林一歩巡査部長の殉職。
 生き方に是非はないと承知しつつ、林巡査の殉職と、残された家族のことを想わないわけにはいかない。
 

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