歳時記

自分のことは棚に上げて居直るべし

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 今週は、東京商工会議所品川支部で、2回目の講演セミナーをやってきた。
 広い意味での「人の動かし方」がテーマで、自分の体験を交えつつエラそうな話をしてきたが、帰宅して愕然とした。
 考えてみれば、「人の動かし方」どころか、カミさんひとり動かせない自分に気がついたからである。
「メシ」
「どうして食べて来ないのよ」
「どうしてと言われても……」
 あとは口をもごもごである。
 そんな私が「人の動かし方」を語るのだから、まさに「自分のことは棚」というわけである。
 しかし、考えてみれば、自分のことを棚に上げなければ、人間、生きていけるものではない。
 自分のことを棚に上げるから、
「人間は清く、正しく生きるべし」
 などとエラそうなことが言えるわけで、
(オレって悪い人間なんだ)
 と自分を責めてばかりいたのでは、ノイローゼになるだろう。
 だから私は、家族や友人から「自分のことは棚に上げて」と非難されるたびに、
「バカ者。自分のことを棚に上げるから人間は生きていけるのだ」
 と嘯(うそぶ)くのである。
 こうしたことに限らず、私は「欠点」や「弱点」を逆手に取り、それを武器に生きてきたような気がする。
 たとえば週刊誌記者時代、専門知識を必要とするインタビューに際しては、
「初歩的な質問をするかもしれませんが、よろしくお願いします」
 と、予防線を張る。
 これなら、たとえトンチンカンな質問をしても許される。
 我ながらうまい方法だと悦に入って、取材のたびに、
「門外漢なので」
「シロウトなので」
「不勉強で申しわけありませんが」
 予防線を張りまくり、それでうまく〝世渡り〟ができた。
 ところが、某先輩記者と一緒にインタビューしたときのことだ。
 例によって、
「この件に関しては門外漢なので、ひとつよろしくお願いします」
 とやったのだが、取材が終わってから先輩にこっぴどく叱られた。
「バカヤロー! 不勉強が自慢になるか! 門外漢なら、勉強してからインタビューしろ!」
 ガーン!
 目からウロコ――。
 謙虚な態度を装いながら、相手に媚びて取材をしていたことに、初めて気がついたのである。
「媚びて取材するのは記者じゃない、ご用聞きだ!」
 先輩のキツーイ叱責だったが、それ以後、インタビューに際しては、資料を当たり、予備取材をして臨むようになったのである。
 ところが、それで人間として成長したかというと「?」で、いまもこうして自分のことを棚に上げて居直っているところを見ると、人間の性格は変わらもののようである。
 そうだ、今度はそれを逆手に取ってみよう。
 カミさんが小言を言えば、
「バカ者! 人間の性格が簡単に変わってたまるか!」
 と、居直ればいいのだ。

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