「人生の一大事に臨んで、自分は平然としていられるか、それとも狼狽するか」――。これが私が自分に課した長年のテーマである。
一大事の最たるものは「死」だが、死んでしまったら甘受も狼狽もないので、現実としては、死と隣り合うガンの宣告が一大事と言っていいだろう。ガンの宣告を受けたときに、自分はどう反応するか―――という問題である。
私の母は、私のいまの年齢より二歳若く、五十四歳のときに直腸ガンで亡くなっている。遺伝との関わりは不案内だが、ガンが人ごとでないという気分だけはあった。
で、先月のこと。
舌の表面に異物ができた。
次第に大きくなって小豆大になった。
表面が剥離し、舌に当たったり上顎に当たったりで痛くなった。
このとき「舌ガン」という思いがよぎった。
と言うのも、ここ数年で二冊ほど、故石原裕次郎さんの闘病記の編集に携わったことがあったからだ。裕次郎さんは舌ガンも患っていた。それでピンときたわけである。
町の耳鼻咽喉科で診察してもらうと、医師が難しい顔で「舌ガンの可能性があります。十日ほど軟膏を塗ってみて、剥離した部分の経過が芳しくなければ、大学病院で細胞の検査を受けてください」と告げた。
さて、このときの私の心境はどうであったか。
(おっ、ついに一大事に臨んだな)
と、そんなふうに思った。
平常心である。
カッコつけるわけでなく、本当にそうだった。平常心でいられた自分が嬉しく、正直、浮き浮きするような気分だったのである。
ところが、数日後。
某社の若手編集者と、久しぶりに打ち合わせで会ったときのことだ。
「ずいぶん、お痩せになりましたね」
と言われてガク然とした。
痩せることがガンの兆候だからではない。
この一年間、酒をやめ、野菜中心の生活にして8キロほど減量したというのに、もし私が舌ガンということになれば、
「ああ、やっぱりねぇ。ずいぶん痩せたと思ってたんだ」
と、周囲の人たちに言われるではないか。
「ダイエットしたって威張っていたけど、ガンだったんだね」
笑い話になるではないか。
そのことにガク然としたのである。
(冗談じゃない)
と、思った。
本気で思った。コトに臨んで平静でありたいと願い、ガンの疑いという医者のご託宣に平常でいられた私が、「ガンゆえに痩せた」と誤解されることに動揺したのである。いま振り返れば、ミエもここに極まれりであった。
幸いにも舌の異物は次第に小さくなり、10日後の診断は「大丈夫でしょう」ということになった。念のため、さらに2週間の経過を見て、無罪放免になった。
そして、無罪放免になった日の道場で、幼児、1年生クラスを指導しているときのことだった。
1年生のA子ちゃんに、みんなの前で型の演舞をやらせようとしたところ、道場の真ん中に立って、しきりに帯の結び目を気にしている。帯のことよりも、気にすべきは型の手順だろうに、枝葉末節の帯にこだわっている。緊張しているのだ。
リラックスさせようと思い、
「A子ちゃん、帯なんか気にしなくていいよ」
と告げた、その時である。
私はハッとした。
「ガンゆえに痩せた」と言われることに動揺した自分を思い出したのである。どうでもいいこと――枝葉末節にこだわった自分の精神状態は、本当はどうだったのだろうか、と。
人間にとっていちばんの苦しみは「死」である。
私は浄土真宗本願寺派の僧籍を得た人間だが、宗祖親鸞聖人でさえ、
「流転せる苦悩の旧里は捨てがたく、いまだ生まれざる安養の浄土恋しからず」(歎異抄)
とおっしゃっている。意味は、「ちょっとした病気でも、死ぬのではないか心細く思う」という親鸞聖人ご自身の感慨で、苦の元は人間の持つ煩悩だと説く。
ならば、煩悩の固まりであることを自認する私が、「死」を恐れないわけがないではないか。
そのことに思い至ったのである。
一大事に臨んで、平常心でいたのは、「ガンと決まったわけじゃない」という無意識の希望か、それとも「そんなことがあるわけがない」というタカのくくりか、あるいは動揺の裏返しか……。
「ガンゆえに痩せた」と誤解されることにガク然した自分の気持ちは、本当はどうだったのだろう。
いま、原稿〆切の手を休めて、あれこれ考えているところなのである。
凡夫が、死に臨んで平静でいられるや
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