人間は誰でも誉められたがる。
誉められたら嬉しくなる。
私もそうだ。
「今度の本、面白いっスね」
「そうかァ」
ヨイショであるとわかっていても、つい頬がゆるんでくる。
私のようなヘソ曲がりでも気をよくするのだから、お世辞がまかり通るのは、人間社会の常ということだろう。
ならば、ここで考えていただきたい。
「誉める」のと「誉められる」のとでは、どっちがより自分にプラスになるだろうか。
答えは「誉める」だ。
「課長に一生ついて行きます」
「キミに全幅の信頼を置いている」
「○○ちゃん、少し痩せたんじゃない?」
お世辞であるとわかっていても相手は喜ぶのだから、ヨイショなんて楽なもの。しかも、ヨイショしてくれる人間に好感を抱く。「誉める側」は楽で、しかも自分にプラスになるというわけだ。
では、「誉められる側」はどうか。
「いつもカッコいいっスね」
とヨイショされれば、嬉しくはなるが、これからもカッコよくあり続けなければならない。
「いつも気前がいいっスね」
とヨイショされれば、奢り続けなければならない。
「キミの報告書はいつも早くて丁寧だね」
上司に誉められれば、徹夜してでも報告書を仕上げなくてはならなくなる。
ことほど左様に、誉められて気分がいいのは一瞬だけで、そのあと誉められたツケを払わされることになる。極論すれば、誉められて得することは、実は何もないのだ。
しかるに人間というヤツは、そのことを知ってなお、誉められたがる。人生、窮屈になって当たり前だろう。
楽に生き、みんなに感謝され、世の中をスイスイと泳ぎ回りたいと思うなら、要諦は、自分は誉められないようにしつつ、人を誉めることなのである。
世の中をスイスイと楽に泳ぎ回る秘訣
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