歳時記

「いい人」は「無能」の代名詞である

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 小沢一郎民主党新執行部が船出した。
 緒戦は衆院千葉7区補選。
「手強い相手」
 と小泉首相が警戒するように、政治という〝舌戦のリング〟は、ますます面白くなっていくということか。
 それにしても、毀誉褒貶は世の習いとは言うけれど、傲岸不遜として〝嫌われ者〟だったはずの小沢人気が、国民の間で急上昇。次期総理として待望論まで起こってきたのだから、「人気」「不人気」というやつはアテにならないものだと、つくづく思う。
 これでもし小沢一郎氏が総理にでもなったら、〝嫌われ者〟が一転、喝采で国民に迎えられることだろう。
 勝てば官軍――。
 これが世の中だ。
 人を蹴落とそうが、騙そうが、出世した奴を「勝ち組」と呼ぶ。
 そして理不尽なことに、「いい人」ほど、会社では無能とされ、「イヤな奴」ほど出世していくのである。
 では、なぜ「いい人」は無能なのか。
 それは、摩擦を恐れて、自己主張をしないからである。
 会社というのは、「共通の利害を持って他社と競争しながら、社員個々もまた競争する」という構造になっている。
 つまり「同僚=敵」という矛盾した人間関係において社員のとるべき道は、二つしかない。
 すなわち、「自己主張する」か「他人に従う」か――。
 自己主張すれば同僚と摩擦が起こる。
 敵ができる。
「あの野郎」
 と、陰口を叩かれる。
 毒にもなるが、薬にもなる。
 意志を持つと言うことは、ビジネス社会という試合に参加し、実際に戦うアスリートなのである。
 一方、他人に従えば摩擦は起きない。
 味方ができる。
 いや、味方だけになる。
「あいつは、いい奴だ」
 と、みんなに愛される。
 毒にも、薬にもならない。
 意志を持たない人間は、アスリートではなく、その多大勢の〝観客〟であり〝応援団〟なのだ。試合にエントリーすらできない人間に競技能力を問うのは、無意味というものである。
 だから「いい人」は無能なのだ。
 舐められているのだ。
 どんな世界であれ、一名を成す人間は、良きにつけ悪しきにつけ、駆け出し当時から一目置かれているものだ。アクの強い奴、強気な奴、ドライな奴、平気で人を裏切れる奴――。
 小沢一郎氏を見ていると、〝嫌われ者〟という悪評も徹底して貫き通せば、道は拓けるということがよくわかる。
 言い換えれば、人気など、良くても悪くても、取るに足りないことなのだ。人がどう思おうと知ったことか。「我が道」こそが最善の道であり、まさに「我が道」は「目前」にあるのだ。

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