我が家ではトイプードルを飼っている。
オスの五歳。いまは灰色になってきたが、飼い始めたときは黒い毛だったので「マック」と命名した。「真っ黒、まっくろ、マック」である。
愛玩犬なので室内で飼っているが、これが典型的な内弁慶。家の中では、ご主人様たる私に吠えたり、「ウ~」と唸ってみせたりして強いのだが、散歩に連れ出すと、もういけない。他犬が遠くで「ワン」と小さく吠えただけで、シッポを巻いて自宅へ一目散なのである。
取り柄のない駄犬だが、感心することが一つある。
イタズラをしてご主人様の怒りを買うと、コロりと仰向けにひっくり返り、前足を折り曲げて腹を見せるのである。動物が腹を見せるのは、降参しましたという合図だから、「あっしが悪うござんした。これ、このとおり、いかようにもしてください」というわけである。
この〝降参のポーズ〟をされると、それ以上は怒れなくなる。つまり、我が家の駄犬は、「あっしは弱いんです」ということをアピールすることで、難を逃れているというわけだ。
実は、この〝マックの生き方〟には、いささか感ずるところがある。
と言うのも、人間の多くは弱点や欠点を隠そうとする。
虚勢を張ろうとする。
できなくても、「できます」と言いたくなる。
知らなくても、知ったかぶりをする。
だから苦しくなる。
若いころ――週刊誌記者時代の私がそうだった。
虚勢を張った日々に、ほとほと疲れてきたある日のこと。
ふと、ひらめいた。
(そうだ、逆だ! 知らない、わからないということを前面に出せばいいんだ)
弱点を相手にさらす――すなわち〝マックの生き方〟に気がついたというわけである。
やってみると、これが楽チンなのだ。
「この件に関しては門外漢なので、初歩的な質問をするかもしれませんが、よろしくお願いします」
インタビューに際して、〝謙虚〟という予防線を張った。これなら、たとえトンチンカンな質問をしても許される。実際、許されたし、相手も懇切に解説してくれた。
我ながら、うまい方法だと悦に入って、取材のたびに、
「門外漢なので」
「シロウトなので」
「不勉強で申しわけありませんが」
予防線を張りまくったのである。
ところが、某先輩記者と一緒にインタビューしたときのことである。
取材が終わってから、先輩にこっぴどく叱られた。
「不勉強が自慢になるのか。門外漢だという自覚があるなら、勉強してからインタビューしろ!」
目からウロコ――。謙虚を装いつつ、相手に腹を見せて取材をしていた自分に気がついたのである。
「媚びて取材するのは記者じゃない、ご用聞きだ!」
先輩のキツーイ叱責だったが、それ以後、インタビューに際しては資料を当たり、予備取材をして臨むようになったのである。
我が家のマックが、コロリと仰向けになって腹を見せるたびに、先輩記者の叱責を思い出す。
あれから三十年――。
人に媚びず、自力で人生という山を登ってきたつもりでいるが、本当にそうなのだろうか。
(自分がそう思っているだけで、ひょっとして〝マックの生き方〟ではなかったのか?)
ふと自問することがある。
五十も半ばになると、そんなことが気になってくるのだ。
愛犬マックの「媚びの生き方」
投稿日: