歳時記

五輪選手に慰めは不要だ

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 不振のトリノ五輪で、周知のように荒川静香選手が金メダルに輝いた。
 心からおめでとうを言いたい。
 だが、荒川選手に対するメディアのフィーバーぶりを見ていると、考えさせられるところがないわけではない。
 メダル惨敗が続いたとき、
「選手を責めるのは酷だ」
 というトーンが支配的になっていた。
「国民は勝手なこと言ってるが、選手はよくやったじゃないか」
 というわけだ。
 ならば、荒川静香選手に対する賞賛はどうなるのだろうか。シドニーオリンピック女子マラソンで優勝した高橋尚子選手に、なぜ国民栄誉賞が贈られたのだろうか。
 勝てば英雄となり、負けて期待を裏切れば国民は落胆する――これがオリンピック選手の宿命だろうと私は思うのだ。
 すなわち、「賞賛」と「落胆」は等量であり、アスリートはその両方を覚悟して競技の檜舞台に上がる。誰よりそのことを承知しているのが、他ならぬ選手自身なのだ。
 そのアスリートに、負けたからと言って〝あたたかい拍手〟を送るのは失礼だろう。なぜなら、〝あたたかい拍手〟の根底にあるのは同情であり、同情は常に高見からなされるものであるからだ。
 私は空手道場を主宰しており、試合で負けた選手の心情は痛いほどわかっている。
 わかってなお、安易な慰めは口にしない。
 負けは、負けなのだ。
 それでいいではないか。
 次に勝てばいい。
 勝つように努力すればいい。
「よくやった」
 と言ってやりたいが、よくやるのは当たり前なのだ。それを誉めることこそ、選手に失礼だと、私は考えるのである。
 期待に送られ、郷里や母校をあとにしたオリンピック選手にとって、敗戦の帰国は気が重いだろう。
 だが、自分で選んだ道ではないか。
 それに耐え、雪辱を期すべく新たなチャレンジをして欲しい。
 いや、彼らはすでに次の大会に向けてスタートを切っているはずだ。
 慰めではなく、そのチャレンジ精神に拍手を送ろうではないか。
 私は、そんなアスリートが大好きだ。
 

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