先夜、知人に連れられて初めて行った寿司屋でのことだ。
「白身ちょうだい」
板サンに言うと、
「ウーン、今日の白身はちょっとよくないんですよ」
と渋ったのである。
そのとき私は、どう感じたか。
(何だ、ちゃんと仕入れろよな)
とは思わない。
(この板サン、正直だな)
と思った。
信用できると思った。
馴染みにするなら、こういう店でなくちゃ――そう思ったのである。
だが、帰宅して湯船に浸かりながら、ふと考えた。
今日のネタがよくないというのは、仕入れた板サンに責任がある。板サンが悪いのだ。仕入れたことが間違いではないか。
しかるに板サンは、「今日の白身はよくないんですよね」と、さもネタに責任があるかのようなニュアンスを込めつつ〝正直〟に告げ、それによって私の「信用」を得た。
板サンにそういう計算があったとは思わないが、実に巧妙なレトリックになっていたのである。
すなわちネガティブなことは、隠すのではなく、積極的に用いることによってポジティブに転じるということなのだ。
ここに多くの人は気づかず、ネガティブなことを隠そうとする。だからバレたときに、何倍ものペナルティーになって返ってくるのだ。
ネガティブなことは、積極的に活用するのだ。
「ごめん。オレ、いままでキミにウソついてたんだ」――タイミングを見て自分から告白し、誠意をもってあやまれば、いっときの修羅場はあっても、
(この人、正直)
ということになる。
それが人間の心理だ。
結果、騙していたことが帳消しになるだけでなく、信用をも得ることになるのだ。
「災い転じて福となす」という諺の真の意味は、このレトリックのことを言うのではないか。私は密かにそう思っているのである。
「災い転じて福となす」のレトリック
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