日日是耕日

俗にありて、煩悩を耕す365日

歳時記

「誉められたい」「認められたい」という欲求について思う

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 昨日、1月11日から我が昇空館本部道場の稽古が始った。道場が手狭なこともあり、夕方5時から10時まで、幼児〜一般とクラス別に4コマの稽古だ。
 道場内に私の仕事部屋があり、4時30分に執筆を切り上げて幼児たちがやって来るのを待つ。「オッス!」「オッス!」と、舌足らずな声で元気よく道場に入ってくるが、二週間の稽古休みを経て正月明けに見る幼児たちは、ひと皮剥けて見える。きっと「成長の密度」が違うのだろう。そんな彼らを見るのが、毎年正月明けの、私の楽しみの一つでもある。
 幼児クラスは現在20名ほどいるが、私は彼らに「上手になったと思う人」という質問をよくする。すると全員が「ハーイ!」と手を挙げる。「頑張って稽古している人」と質問すると、これまた「ハーイ!」だ。空手のカタチにさえなっていない三歳児も、ふざけてばかりのイタズラ坊やも手を挙げる。
 本気でそう思っているのだ。
 このことに、私はいつも考えさせられる。
 たぶん、そう返事をすれば「誉められる」ということが子供心にわかっているのだろうが、一方で、「認められたい」という欲求を持っていることもまた事実なのだ。幼児だと思ってタカをくくってはいけない。このことは指導していて痛切に感じることだ。
 そこで、彼らが本気で上達していると思っているなら、頑張って稽古していると思うなら——客観評価は別として——技術や稽古態度が悪いと言って叱りつつけるのは、「指導法として間違いではないのか」ということに昨年疑問を持った。
 そして、考えた末、叱るのではなく、もっと上達するように、もっと頑張れるようにと——短所には目をつむり——ポジティブに指導すべきだという結論に至ったのである。
 だが、「誉められたい」「認められたい」という欲求は幼児だけだろうか。私たち大人もまた、誉められたくて、認められたくて、実力以上に背伸びしてはいないだろうか。最近、そのことがとても気になっている。「ハーイ!」「ハーイ!」と手を挙げる幼児たちの姿は、自分の姿を投影しているように、私の目には映るのである。

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