学生時代、金はないが、時間はあった。
要するにヒマなのだ。
「なんか面白いこと、ないっスかね」
酒をご馳走になりながら、OBにボヤいたら、
「バカヤロー。人生、そうそう面白いことがあってたまるか」
怒鳴られ、翌日からOBが勤めている運送会社で、荷物の積み卸しのバイトをやらされるはめになった。
以後、人生に退屈すると、このときのOBの説教を思い出しながら、
(そうだよな。人生、そう面白いことがあるわけねぇよな)
と、自分に言い聞かせるようになったのである。
そんな私が、
「人生は面白い」
と思うようになるのは、数え四十二歳、厄年の夏であった。
知人に、美容外科も手がける耳鼻科医がいて、この先生が、私の小鼻に小さなホクロがあるのを見つけ、
「それ、人相学的によくないね。取ってあげようか」
と言ってくれた。
人相学的によくないんじゃ、うまくない。
「痛くないスか?」
「なあに、麻酔を射つときにチクってするだけだよ」
カラカラと笑うから、安心して耳鼻科の椅子に座ったのはいいが、麻酔注射の痛いこと。鼻のてっぺんに刺すのだ。それも数ヶ所――。
「痛タタタ……、先生、痛いっスよ」
涙をポロポロ流しながら抗議すると、
「うん、鼻のてっぺんて、痛いんだよね」
このときである。
欲得から、「人相学的によくない」という言葉に乗って、鼻のてっぺんに注射されている愚かな自分が可笑しく、涙を流しながら笑いがこみ上げてきたのだった。
それ以来、
「人生、そう面白いことがあってたまるか」
と言ったOBの言葉に、
「だから人生は、面白がるんだ」
という言葉をつけ加えることにした次第である。
年輩者の酒におつき合いしていると、酔うにつれ、以前聞いた話を何度も繰り返すことがある。
(またか)
と、うんざりする人もいるだろう。
話を打ち切ろうとして、
「だから、そのとき辞表を叩きつけたんですよね」
と、先回りしてオチを口にする人もいるだろう。
だが、〝一つ話〟も、初めて聞く話だと思えば、新鮮で楽しいものだ。実際、初めて聞いたときは、面白かったはずだ。
《一つことを聞いていつも珍しく初めたるように信の上にはあるべきなり》
とは、浄土真宗本願寺派八世にして中興の祖である蓮如上人の教えだが、この教えはまた、「面白がるコツ」でもあるのだ。
面白がれば、人生もまた楽し
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