「一般大衆の持っている金を22とすれば、金持ちのそれは78である」――と喝破したのは、日本マクドナルドの創業者にして超リッチマンの故藤田田氏で、「金を儲けようとするなら、金持ちを相手すべし」と説く。外食産業の雄として、多くの成功神話を生み続けた藤田氏の〝金儲け哲学〟である。なるほど、釣り糸は魚道に垂るべきで、雨の水溜まりに魚がいないのは道理である。
藤田氏の説く「78対22」の根拠は、空気の成分にある。空気は窒素78に対して、酸素などそれ以外のものが22の割合になっている。このことから、宇宙はすべて78対22に分割されるとし、藤田氏はこれ「「宇宙の大法則」と名づけ、経営に活かしたのである。
宇宙がすべて「78対22」の割合になっているかどうか、私は知らない。世のなかがすべて「78対22」の割合になっているのかどうかも知らない。
だが、世のなかも人生も「割合」でとらえるという考え方なら、私も実践している。
それは、「49対51をもって満足すべし」という考え方だ。
ベターハーフと言ってもよい。
人生を100とし、幸せと不幸との比率が50対50ならイーブン。それより幸せの比率が多くなれば、その分だけより幸せな人生になるわけで、誰もが100対0をめざす。100が無理なら80対20、最低でも70対30でありたいと願う。
私もそう思っていた。
努力とは、限りなく100対0に近づけることだと思っていた。
いまは違う。
100対0をめざすのは欲であり、その欲ゆえに、背負わなくてもいい苦労を背負い、苦しまなくてもいいことに苦しむことに気がついた。100対0をめざす生き方は、皮肉にも、結果として0対100の人生になるのではないか。そんなことを考えるようになったのである。
そして結論は、「51対49」をもって最上とするという考え方だ。生き方と言ってもいい。51対49と、勝ち越しの人生であるだけで万々歳――そう思うようになってきたのである。
笑ったり落ち込んだり、勝ったり負けたりしなが日々を楽しみ、棺(ひつぎ)を覆うときに51対49であったなら、最高の人生と言えるだろう。
「まあ、あわてずにボチボチ行こうじゃありませんか」
中庸とは、たぶんそういう生き方のことを言うのだろう。
人生街道をひた走って55年。「死」をもってゴールとするなら、ゴールをめざして努力することの、何と愚かなことか。ゴールを意識するようになって、ようやくそのことに気づいたという次第である。
51対49の人生をもって最上とすべし
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