スーパー銭湯のサウナ室で、酒井法子被告の謝罪会見を観た。
しきりに謝罪していたが、一視聴者としては、謝罪してもらうことにさして意味はないように思った。
まして「お騒がせしたこと」については、謝るどころか逆で、メディアも視聴者もゲップが出るほど楽しませてもらったではないか。
そんなことより、覚醒剤を断ち切ることができるかどうか、彼女は真剣に対峙する必要がある。
覚醒剤依存を「病気」ととらえれば、「完治」はないとされる。
だから覚醒剤を断つということは、
「完治はしないが、回復し続けている状態」
ということになる。
これは生涯にわたって続くことで、それほど前途は厳しいのだ。
彼女はこれまで何度も覚醒剤をやめようとしたはずだ。
やめようとして、やめられない自分を嫌悪しつつ、覚醒剤を使用してきたのだろうと思う。
数年前、アルコール依存症だった私の友人は自殺した。
酒に依存する自分を嫌悪し、嫌悪しつつも依存してしまう自分に悩み、みずから命を断った。
覚醒剤依存、アルコール依存と戦う人の葛藤と苦しさを考えれば、健常者の悩みや苦労はママゴトのようなものだろう。
私はいつもそのことを思うのである。
酒井法子の謝罪会見
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