浄土真宗は坐禅を組まない。
だが修行としてではなく、気息を整えて「坐る」という行為は精神衛生上、きわめて有用ではないか。
かねてそう思っていたが、曲がりなりにも浄土真宗の僧侶としては、「坐禅」として実行するわけにはいかない。
だが、蓮如上人の御文章の一つ、『末代無智の章』に、
「ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは称名念仏すべきものなり」
という一節がある。
「坐禅」でなく「坐念仏」であれば当然、ウェルカムのはずである。
で、さっそく、長らくあたためていた「坐念仏」の実践である。
どんな坐り方でかまわない。
目を閉じ、気息を整え、胸の内で「南無阿弥陀仏」とゆっくり称えるのだ。
実は、このことが閃いたのは一昨日、近所の日帰り温泉の露天風呂だったので、湯船に浸かりながらの実践である。
周囲の人が怪訝そうな顔をして、チラリチラリと私を見ているが、なあに構うことはない。
いろいろ試した見た結果、以下の要領がベストだ。
①まず腹式呼吸で、息を吐ききる。
②腹式呼吸でゆっくりと肺に7割まで息を吸い、瞬時、息を止め、胸呼吸で残りの2割を吸い、さらに残りの1割を肩呼吸で吸って肺を満たし、息を止め、横隔膜を下げながら下腹をふくらませ、肺の息を丹田に向かってゆっくりと下降させていく。
息が沈みきったら、鼻から長く長く息を吐きながらゆっくりと「南無阿弥陀仏」と胸の内で称えるのだ。
称え終わるときと吐ききるときが同時になるよう、ゆっくりゆっくりがコツだ。
胸の内だからと言って、口から息を吐きながら称えるのはうまくいかない。
やってみればわかるが、あくまで鼻呼吸である。
実際、ここにたどり着くまで露天風呂で悪銭苦闘であった。
帰宅すると、
「あら、遅いじゃないの」
愚妻がきくから、いましがた「坐念仏」に開眼したことを告げ、くわしく説明しようとすると、
「ヒマだわね」
バチ当たりが、話の腰を折るのだ。
猫に小判、バチ当たりにウンチクといったところか。
それはさておき、この「坐念仏」は夜、布団に入ってから「手のひらのツボのマッサージ」と併用すると熟睡できる。
ここ数日、法務で忙しいこともあるが、7時にはベッドに入り、ぐっすりである。
だた、あきっぽい性格ゆえ、いつまで続くか。
そこが私の課題なのだ。