鹿児島県の山奥で、ヤクザたちが大麻を栽培していたというニュースが、何となく引っかかっていた。
3棟のビニールハウスに大麻430本を植え、彼らは作業服に長靴姿でせっせと水をやり、育てていたという。末端価格1億4000万円である。
私は、ヤクザが「額に汗して働く」ということが、どうにも気に入らないのである。
ヤクザは、額に汗などして働いてはいけないのだ。
「おい、こらッ!」
と、人さまの稼ぎをカスり、いい服を着て、いいクルマに乗って、いい女を連れて歩くからヤクザなのだ。
それを、こともあろうに、額に汗して農作業をやるなど、トンデモナイことではないか。
と、ここまで考えて、私の心に引っかかっていた正体がわかった。
坊さんである。
坊さんは本来、生産に従事してはいけないのだ。
生産に従事せず、仏法を説くのが役目で、そのかわり布施によって生きている。
乱暴に言ってしまえば、生産性のある仕事をしてはいけないということにおいて、ヤクザと共通項がある。
ところが、お寺さんが駐車場や幼稚園を経営している。
働いているのである。
となれば、ヤクザが農作業をするのと同質ではないのか。
そんな思いが心に引っかかっていたというわけである。
最近、「らしく」という言葉が死語になってきたようだ。
教師は教師らしく、警官は警官らしく、父親は父親らしく、母親は母親らしく、高校生は高校生らしく。男は男らしく、女は女らしく。
「らしく」とは、鋳型にはまることではない。
矜恃だと私は思うのだ。
ヤクザが農作業をするのは「らしく」なく、したがって矜恃を捨てたことになる。
坊さんも同様である。
いや、「らしく」を失った私たちのすべてが、そうなのかもしれない。
「らしく」生きたいと私は願う。
「らしく」という生き方
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