「トランプ」という名前を聞かない日はない。
「ウクライナ戦争を一日で終わらせる」
と豪語し、うまくいかなければ、
「ガキ同士のケンカだからやらせておこう」
屁理屈をこねて、
「だから、わしは悪くない」
と正当化する。
関税問題を持ち出すまでもなく、当初、世界は「トランプ」に対して猛批判をしていたが、いまや「あの男のことだから、しゃあない」とあきらめムードになっている。
「あきらめ」は「消極的肯定」である。
そして「消極的肯定」はやがて「積極的肯定」へと転じていく。
これが世の常である。
つまり、世間からどんなに非難されようとも、「我は我なり」で貫けば、
「あいつは、あんな人間だから」
と認められるということなのだ。
しかるに私たちは「世間の目」を気にし、世間に自分を合わせようとする。
だからいつまでも腰が定まらないでいる。
そういう意味で、「トランプ」の生き方は、是非を別として、大いに参考になるのではないか。
天台宗開祖の最澄は、
「最下鈍の者も12年を経れば必ず一験を得ん」
と喝破した。
「どんなに愚かで才能のない人間であっても、一つのことを12年続けていれば、必ず一つは秀でるものをつかむことができる」
といった意味だ。
これに「トランプ」を重ねれば、
「どんなに嫌われ者であっても、それを貫けば必ず肯定する者が現れる」
ということになる。
これを「継続は力なり」と言うのだ。