「虎の威を借る狐」という諺がある。
狐が蔑まれるのは、「虎の威」を借りていることがバレているからだ。
バレなければ、狐は虎になる。
つまり、狐も虎に見られたなら、「本物の虎」になるということ。
人間も同じだ。
「ボロは着てても心の錦」
と胸を張るのは当人の自己満足。
相手は、
「この人、ビンボーかも」
と見下してしまう。
これが人間心理であり、人物評価はどう見えるかによって決まるということなのだ。
「いや、中身だ」
と反論するなら、パジャマか水着で商談に臨めばよい。
まとまる話も即刻、壊れてしまうことだろう。
私たちは無意識に相手を値踏みする。
「どう見るか」「どう見られるか」によって、評価もすれば見下しもする。
推測と思い込みが人間関係に大きく左右するということなのだ。
今日もご葬儀に出仕した。
僧侶であるというだけで、ご遺族はしかるべき対応をしてくださる。
「袈裟の威を借る凡夫」
という言葉が帰途のクルマのなかでよぎる。
僧侶として曲がり角に来ているような気がするのだ。