月曜から愚妻は、1泊2日1通院である。
第4回目の抗ガン剤投与だ。
私は通夜、葬儀が入っている。
法衣の準備は愚妻の役目なので、1泊2日程度ならいいが、長く入院されるとマジに困る。
「おまえも大変だろうが、わしも大変なのだ」
そう言うと、
「なによ、結婚して50年間、私はずっとあなたの世話をしてきたでしょ」
そして、
「これからは、私が世話をしてもらう番だわよ」
居直り、ペラペラと老々介護の話まで展開する。
余計なことを言わなければよかった。
なるほど、口は禍の元とは、先人はよく言ったものである。
そう言えば過日、年配女性のご葬儀でのこと。
花入れのとき、故人の娘さんが幼いわが子に泣きながらこう言ってきかせていた。
「ババは死んだのよ。さよならを言いなさい。次は、ジジだからね」
ジジは喪主。
娘さんに悪気はもちろんない。
いずれ親を亡くすのだというご自身の覚悟が、そんな言葉になったのだろう。
その気持ちはよくわかる。
だが、この言葉を棺のまわりにいた人はどう受け取っただろうか。
言葉は真意を表すとは限らないということにおいて、実に難しいものだ。
真意を言葉でどう伝えるか。
メールという文字がコミュニケーションツールのメインとなった今、言葉の劣化を感じるのだ。