拙著『良寛 清貧に生きる言葉』(青志社)より/一部転載。
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《こだわる》という言葉は誉め言葉だ。
「あの人はワインにこだわる」
と言えば、ワイン通だと誉めていることになるし、
「あの人は服装にこだわる」
と言えば、おしゃれな人間という讃辞になる。
同様に、
「あの人は人生にこだわる」
と言えば、生き方に確たる信念を持っている人間ということになり、逆に「こだわりがない」と言えば、おおらかさよりも、定見がなくてフラフラと人腰の定まらない人間だと思われてしまう。
ならば、次の良寛のエピソードをどうとらえるだろうか。
『良寛 逸話でつづる生涯』に紹介されているのだが、《こだわり》とは何かについて考えされるだろう。
ある日のこと。
托鉢で遊郭に行った良寛が、遊女とおハジキを始めた。
店が暇だったのだろうが、このことを知った弟の由之は驚いた。
僧侶が遊郭で遊女とおハジキ遊びとは前代未聞。口さがない世間が知ったらなんと言うか。
「兄貴、やめてくれ!」
と金切り声をあげるのは私たち俗世間の人間で、由之も剃髪して半僧半俗の立場。
そこは遠回しに歌をもって良寛に忠告した。
『黒染め衣着ながら 浮かれ女と うかうか遊ぶ 君が心は』
「坊さんが遊女と遊ぶなんて、いったい何を考えているのやら。少しは世間体を考えたらどうでしょうか」
これに対して、良寛はこう返歌をしたためた。
『うかうかと 浮き世を渡る 身にしあれば よしやいふとも 人は浮きよめ』
「大事なことをするわけでもなく、ぼんやりとこの世をすごす同じ身であってみれば、たとえ良くないと人が批判する遊女であっても、同じ世を過ごす人間なのだよ」
何をこだわっておる、と一笑に付したのである。
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「こだわり」や「こだわりのなさ」は所詮、自分の都合である。
世俗の価値観である。
「そんなものに振りまわされてどうする」
良寛のそんな声が聞こえてくるのだ。