コロナの感染拡大が止まらない。
大阪は特にひどい。
吉村知事が、8月を「うがいの強化月間」と強く求めたのに、大阪の人は励行しなかったのではないか。
我田引水のパフォーマンスに対して、嫌味の一つも言いたくなってくる。
言葉とは難しい。
言い切ると、責任を問われる。
言葉に保険を掛けると、「逃げ」と思われてしまう。
菅総理のように、役人が書いたペーパーを棒読みするのは、失言もなく、言葉に責任も問われないが、聞き手の心に響かない。
「国民の生命、財産を守るのが政府の使命であります」
こう言われて、信頼を寄せる国民がどれほどいるだろうか。
ウソも、聞き手か誠意を感じれば真実になる。
逆に、真実であってもウソと感じれば、それはウソになる。
ここに言葉の本質がある。
そう思っていたら、違った。
「おまえは本当に働き者だな」
ためしに愚妻をホメてみると、ジロリと睨んで、
「何をたくらんでいるのよ」
そう言った。
ウソをウソと感じるという、もう一つの見方があるのだ。
「国民の生命、財産を守るのが政府の使命であります」
というのも、国民は真実をウソと感じているのではなく、ウソをウソと感じるのではないか。
愚妻によって気づかされたことである。