人間の表情に「損得」は必ずある。
容姿についてあれこれ言うべきでないことは百も承知だが、「見た目」が大事であることもまた、事実なのだ。
これは「美人・イケメン」という意味ではなく、「見た目の印象」ということである。
この2月だったか、コロナが騒がれ始めたとき、愚妻は西村再生大臣と加藤厚労大臣をテレビニュースで見て、
「この人たち、薄ら笑いを浮かべているみたい」
と憤慨した。
「そうではない。そういう表情の人間なのだ」
私は擁護したが、「第一印象は持続する」という心理学の王道に従い、愚妻はいまだにこの二人を嫌っている。
ニューヨーク州のクオモ知事を筆頭に、諸外国の政治リーダーたちが真剣な表情でコロナ危機を訴えているのとくらべれば、西村・加藤両大臣は確かに真剣味が欠けているかのように見える。
西村・加藤両大臣に真剣味が欠けていると言っているのではなく、
「ように見える」
ということなのである。
「見た目の印象が大事」とは、こういうことを言うのだ。
愚妻は私のことを「極楽トンボ」だと、ことあるごとに言う。
「いいわよね、ノンキで」
と、嫌味を言う。
「家の蛍光灯も私に替えさせるし、クギ一本打ったことがないし、いまだに風呂の沸かし方も知らないし。それで威張っているんだから、いい性格よね」
昨夜も44度の泡盛を飲みながら、私に毒づいている。
私は苦労が顔に出ないのだ。
見た目で損をしているのだ。
本当は真面目で真摯な生き方をしているのだが、そうは見えないだけなのだ。
そう抗弁するが、愚妻は聞く耳を持たない。
見た目という「雰囲気」はかくのごとく大事なのだ。