「かくあらねばならぬ」
という思いが、苦の根源である。
「怒ってはならない」とか「人には親切しろ」とか「少欲知足であれ」とか。
「目標」としては正しい。
正しいが、煩悩と二人三脚の私たちにはできないことだ。
できないことをやろうとするのだから、これは無理がある。
ならば、そんなことはやめればよさそうなものだが、「かくあらねばならない」という思いが、ときおり頭をもたげる。
そして、できないことをやろうとして、またまた苦しむ。
人生は、これの繰り返し。
すなわち、「いい人間になろう」という思いもまた、煩悩ということになる。
いや、そもそも悟りを求めること自体が、煩悩の最たるものだろう。
求道を突き抜けた先に見えるのは結局、煩悩である。
ということは、煩悩にまみれて生きていること自体を「悟り」と呼ぶ。
拙著に『煩悩バンザイ!』というのがあるが、この内容をさらに深めていけば、もっともっと素晴らしい発見があるのではないかと、ウォーキングしながら思うことである。
「悟り」という煩悩
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