歳時記

「ランナーズハイ」考

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ウォーキングをしていると、ジョガーとすれ違うことがある。
若い人ならともかく、年配ジョガーが顔をゆがめてハーハーと走っている姿は、何やら義務的で、私にはあまりカッコよく見えない。

「歩こうが走ろうが当人の勝手でしょ」

愚妻に話すと一刀両断。
ミーファーストらしい価値観で、お説ごもっともなのだが、私の価値観としてはウォーキングやジョギングなど、趣味的なことは楽しくやるべきだと思うのである。

で、昨夕。
ウォーキング(私の場合は散策と自認している)をしていて、なぜか急に駆けたくなってきた。

顔をゆがめるのはイヤなので、インターバルで駆けてみた。

すると、散策しているときはいろんな思いがよぎるのだが、走っていると頭になにも浮かんでこない。

(ハハーン、これがランナーズハイか)

にわかに納得したのである。

ジョギングするとエンドルフィンが脳で分泌され、ランナーが快適な気分になると言われるが、どうやら「快適」の正体は「考えることからの開放」にあるのではないかと思った次第。

(しかし)
と、インターバルで散策しながら疑問が浮かんでくる。

ランナーズハイのはずなのに、顔をゆがめてハーハー走っているのはどういうわけか。

自問して、
(そうか、わかった!)

あれは苦悶に顔をゆがめているのではなく、快適・快感に身もだえしている表情ではないのか。

いや、違う。
唐突に、
『歓楽極まりて哀情多し』
という、前漢七代皇帝である「武帝」の言葉がよぎる。

「喜び楽しむことがその極に達すると、かえって悲しみの気持ちが強くなる」
という意味だが、ランナーズハイを味わい尽くすがゆえに快感が哀感に転じ、苦悶の表情になるのではないか。

そうだ。
そうに違いない。

まあ、どうでもいいことが散策していると次から次へよぎり、とてもじゃないが快適とはほど遠くなる。
考えるのは疲れるので、次回からランナーズハイを味わう一歩手前で駆けてみようかと思うのだ。

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