歳時記

人間は考える葦

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昨日は、昇空館の新年会。
館長を退いて以後、合宿や合同稽古など行事にはご無沙汰しているが、コロナ後ということもあり、久しぶりに出席した。
同好の士との歓談はやはり楽しいものである。

会場は渋谷だったが、街は外国人観光客が多かった。
先日、所用で銀座に行ったときもそうだった。
何だか、私のほうが「よそ者」のような気がして、遠慮しながら歩いた。

これからは、外国人観光客がいない街なり温泉地を探して行こう。
そのうち「外国人観光客が少ない穴場観光地」なんてサイトができるかもしれない。

昨日は電車で出かけたのだが、出発前、
「マフラーはいらないんじゃないの。忘れてくるわよ」
と愚妻に言われた。

おかしなことを言う。

「忘れるからマフラーをしないとなれば、マフラーを所有する意味がないではないか」

理屈に合わないことを言ってはいけないとたしなめたが、聞く耳は持たず、結局、マフラーなしで出かけた。

で、道々、ふと考え、合点した。

愚妻の真意は、
「私と一緒であれば、私が忘れないように気をつけるが、あなたひとりで出かけると必ず忘れる」
ということなのだ。

なるほど、これならマフラーを所有する意味はある。

合点しながら、昨年暮れ、愚妻抜きで出かけ、ホテルにニット帽を忘れてきたことを思い出した。
店から電話がなかったので、たぶん駐車場で落としたのだろう。

幸い、このことはまだ愚妻に発覚していない。
このブログを読むこともないので安心である。

手袋もよく落とすが、手袋もニット帽もマフラーも、落としてもフワリなので音がしない。
だから気がつかない。
自宅に「熊よけ」の鈴があるから、それをつけたらどうか。

いや、それなら、私が危険な熊になってしまう。

電車の中はヒマだから、そんなくだらないことを考えながら帰宅した。
乗り合わせた乗客は、この爺さんがこんなくだらないことを考えているとは想像もつくまい。

考えるというのは実に楽しいものだ。

『人間は考える葦(あし)』であると言ったのはパスカルだが、この言葉をパスカルが思いついたとき、きっとくだらないことを考えていたのだろう。
そう思うと可笑しくなってくるのだ。

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