連日、自民党総裁選がメディアをにぎわせている。
みなさん、口々に「改革」を絶叫である。
そうだろうな。
改革しなくてよいなら、岸田総理・総裁でいいのだ。
「岸田じゃダメ」となれば当然、「改革」を主張しなければ整合性はとれなくなく。
つまり、総裁選のたびに「改革」になるというわけである。
テレビで総裁選を観ていて思うのだが、歴代総裁(総理)が総裁選で何をブチ上げ、約束し、その結果がどうであったか、なぜ検証しないのだろう。
岸田総理が総裁選で口にした「新しい資本主義」はどうなっちゃったの?
「成長と分配の好循環を実現する」と何度も口にしたけど、どうなっちゃったの?
大企業のもうけが中小企業を含めた従業員の賃金増につながる「トリクルダウン」は、どうなっちゃったの?
「どうなっちゃったの?」は枚挙にいとまがないが、総理を辞めればチャラ。
責任は問われない。
言いたい放題で、あとはアッカンベーでもしていればいいのだ。
政治は結果責任である。
総裁選ではまず、現職総理・総裁の結果責任を問い、その上で総裁選に入るべきだ。
ある政治評論家がテレビで笑いながら「現実は動いているのだから、政治家の主張も変わって当然」といった旨の発言をしていた。
「いやあ、ゴメン、ゴメン。あのときはああ言ったけど、あれ、間違ってたんだ。時代は変わるからね」
こういう政治家を「変節漢」と言い、もっとも軽蔑すべき輩なのである。
『一言九鼎』(いちげんきゅうてい)という言葉がある。
鼎(かなえ)は三足をもつ器で、古代王朝の王権の証とされたことから、この言葉は「一言が国家の宝器である九鼎の重みにも当たる」という意味になる。
「約束が実現できなければ腹を切ります」
と言明できる総裁選候補がいるのか。
少なくとも政治家には、それだけの覚悟が求められるのだ。