歳時記

「雑用」ということ

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「時間の使い方」に関する書籍は、いつの時代も人気だ。
私も田中角栄の「時間術」を書いている。
だから、この類(たぐい)の書籍があると、パラパラとめくってみる。

時間を有効に使う方法として、「朝活」「集中力」「隙間時間の活用」「優先順位」といった定番のほか、「やらないことを決める」といったものもある。

ファッションのごとく、版元や著書は手を変え品を変え、読者の関心を引きつけるべく腐心しているが、その気持ち、物書きの一人としてよくわかる。

実際、時間は足りない。
雑用が山ほどある。

ある現役のヤクザ親分さんが、

「雑にやるから『雑用』なんですよ。自分で雑用にしてしまっている。世のなかに雑用はありません」

そんなことを言っていたが、なるほどと感心しつつも、現実として雑用に追われている。
だから、つい時間管理術が気になるというわけだ。

そんなことをつらつら考えているうちに、昨夜、湯船に浸かっていてふと、こんな言葉が閃いた。

「人生は雑用で成り立っている」

そうなのだ。
人生とは「雑用の総体」なのだ。
こう考えると、雑用に追われるのは当然であり、生きている証(あかし)である。
となれば、雑用が多ければ多いほど充実した人生ということになるではないか。

ものごとは「見方」と「考え方」で、ガラリと変わってくる。
幸や不幸に絶対値はなく、すべては自分の手の内にある。
このことに、いつ気づくか。

「気づく」は「築く」で、「人生を築く」となるのではないか。
いま唐突に浮かんだフレーズである。

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