歳時記

「恥」という日本文化

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「これまでのことは不問に付すから、これからは気をつけるように」
統一教会との関わりについて、岸田総理は要するにそう言っている。

「過去のことを非難するより、これからが大事だ」
というのも同じ論法。

日韓関係においても、
「未来志向」
という言葉がさかんに用いられるが、これも同じである。

日本流に言えば、
「まあまあ、いろいろあったけど水に流そうや」
ということになる。

水に流そうと手を差し出しているのに、いつまでもこだわると、こだわっているほうが悪者にされたりする。

これが日本文化である。

「死者にムチ打たず」
というのも同じ。

「武士の情け」
も同じ。

「水に流そうと言うのがわからんのか!」
「おまえは死者にムチ打つのか!」
「おまえは武士の情けを知らんのか!」

これらの一言で、善悪の因果関係はコロリと逆転してしまう。
西洋を「理屈の文化」とするなら、日本文化は「情の文化」ということか。

「また風呂のフタをし忘れているでしょ!」
「怒るな。武士の情けじゃ」
「わたしは武士じゃないわよ!」

まれにこういうこともあるが、情が理屈に優先するのが日本文化で、これまで角栄本を何冊か書いたが、これもキィーワードは「情」である。

私も「情の文化」は嫌いではないが、「情」を口にする側が居丈高になるのは醜態である。
角栄の「情」が人の心をつかむのは、それをウリにしたり、貸しにしたりしないからである。

いまの政府・自民党には「情」も「理屈」もなく、あるのは「居直り」と「詭弁」ばかり。

おっと、ここまで書いて、日本文化の最たる特徴の一語を忘れていた。

「おい、そこのおまえ! 恥ずかしくないのか!」

「恥という日本文化」が揶揄された時代もあったが、実はこの「恥」こそ、精神性においてもっとも貴いことではないかと、いま改めて思うのである。

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