右肩から右肩甲骨にかけて鈍痛が続いている。
何ヶ月か前は、左肩から左肩甲骨にかけて痛んだ。
ときどき左右交替で痛む。
「面白いわねぇ」
愚妻とっては人ごとで、
「湿布、張るの張らないの?」
これまた人ごとのように言う。
鈍痛についてはいくつか病院をまわったが、原因について見立はいろいろだ。
「ウーム」
唸った整形外科医もいれば、
「あっ、それは頸椎からきていますね」
レントゲンを撮る前に即断した医者もいた。
ある老医は、
「あなたねぇ、歳をとれば痛いところも出てきますよ」
レントゲンも撮らず、ノンキに諭してくださったが、私はこの言葉に〝目からウロコ〟。
「そうですよねぇ」
意気揚々と病院を辞したものだ。
だが、痛いものは痛い。
これは困る。
頸椎の隙間をあけるべく、首を前に曲げてじっとしていると、いくぶんか痛みがやわらぐ(ような気がする)。
そこで、ハタと考える。
「痛い」という事実は変わらないとすれば、それをどう受けとめるかで意味が変わってくるのではないか。
「難儀だ」
と受けとれば「苦」になる。
「健康に留意せよ」
という天の警告だとすれば、
「何とありがたいことよ」
という感謝になる。
なるほど、物事は「解釈」によって意味は真逆になるということか。
ここいらに、ハッピーになるための要諦があると気づいたのである。