歳時記

洗濯に興味である

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洗濯をしてみた。
理由はない。
洗濯機を使ってみたくなったのだ。

愚妻に指導を仰ぐ。
「こうやって、ああやって」
愚妻が洗剤の入れ方を説明しはじめたところで、
「ちょっと待て!」

私が制する。
人に指導するときの基本がまったくなっていない。
指導は総論から入り、各論に落とすのだ。
しかるに愚妻は各論から入った。

「いいか、まず洗濯機の仕組みから解説をするべきなのだ」
「そんなこと、私が知るわけないでしょ!」

ま、確かにそうだ。

クルマやパソコンと同じで、仕組みがわからなくても使いこなせればいいのだ。

まして、何事においても細分化し、専門化する現代においては、「つくる技術」と「使う技術」に大きく別れていく。
ハードとソフトというやつで、人間もハード型とソフト型になっていくだろう。

とりあえず洗濯機を回してみた。
次回は、洗濯物をどうやって干すかに進む。

コインランドリーにも興味がある。
行ったことがなく、利用の仕方がわからない。
だが、ひとりで行ってウロウロしてると下着ドロと間違われるやもしれぬ。

「おい、ついてこい」
愚妻に命じると、
「私だって行ったことないから使い方はわからないわよ」

話し合った結果、そのうち娘を呼んで教えてもらうことにした。

老夫婦は電子マネーだけでなく、コインランドリーも使いこなせないのだ。
時代に迎合すべきか、徹底的に背を向けて「生きた化石」でいるか。

「変わる」も大事だが、「変わらない」はもっと大事なのではないか。
となると、コインランドリーへは行ってはならないことになる。

「おい、どう思う?」
愚妻に問うと、
「そんなこと、どっちだっていいわよ」
鉈(なた)で立ち木を薙ぎ払うような言い方をする。

面倒なものだから、私が洗濯に興味を持つことを警戒しているのだ。

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