コロナ禍で、郊外や田舎に住んでリモートワーク。
あるいはワーケーション。
田舎暮らしが再びの脚光。
そこで、拙著『心の清浄をとりもどす 名僧の一喝』(すばる舎)から転載。
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『草の庵に足さしのべて小山田の かはずの声を聞かくしもよし』(良寛)
究極の「田舎暮らし」を詠んだ詩句だ。
「草庵に長々と足を伸ばし、山あいの田んぼに鳴く蛙の声を聞くのは何とも楽しいものだ」
という意味で、初夏の夕暮れ、托鉢で疲れた足を休めながら、蛙の鳴き声に耳にあずける良寛の姿が目に浮かぶようだ。
「悠々閑々とした田舎暮らし」
という言葉にはユートピアに似た響きがある。
粗末な庵でかまわない。
わずらわしい人間関係から逃れ、自然に心を遊ばせる日々はどんなに楽しいことだろう。
だが、それは叶わぬ現実だ。
私たちは願望にため息をつきながら、人間関係に汲々としながら生きていくしかないのだろうか。
「ちがう」
と私は思う。
海外のリゾート地に行けなくても、近所の公園に四季の移ろいを楽しみ、心を躍らせることはできる。
邸宅に住めなくとも、四畳半に長々と足を伸ばし、生(せい)の実感に心を遊ばせることはできる。
良寛は蛙の鳴き声さえ楽しみとした。
幸せとは、願望が満たされることではなく、日々の生活にどれだけ満足できるかを言うのではないか。
「そこに〝楽しい人生〟が在(あ)るのではなく、〝楽しむ人生〟があるに過ぎないのだよ」
という良寛の声を、この詩句の背後に読み取るのだ。