歳時記

「ウソ」と「泥棒」の相関

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言行の一致せざるを「ウソをつく」と言う。

ウソつきは泥棒の始まりと言う。

ならば、言行の一致せざるガースー総理は、論理的に「泥棒」ということになる。

私がテレビのニュース番組を観ながら、ガースー総理の「ステーキ会食」の悪口を言ったら、
「あなたも泥棒にならないでよね」
愚妻がチクリと余計なことを言う。

「わしが、いつウソを言った」
「それがウソでしょ。部屋を片付けるといいながら寝転がっているじゃないの」
眉を吊り上げる。

「では、わしは泥棒か」
「そうなるわね」

勝ち誇ったように言うので、私はこう反論した。

「では、泥棒がウソをついたらどうなるのか」

愚妻の言語能力ではついてこれず、キョトンとしているので解説してやった。

「泥棒=ウソつきなのだから、ウソをつくのは正直者ということになる。ゆえにわしは正直者であって、決して泥棒ではない」

これで私の勝ちなのだが、愚妻には通じない。

「私をごまかそうと思っても、そうはいかないわよ!」
この一点で押し通し、いつものごとくドローに持ち込むのである。

昨日は打ち合わせがあって、虎ノ門ヒルズに出かけた。
電車を避け、クルマで出かけたが、何となく都内に入るのは警戒してしまう。
だが、ガースー総理は総理は8人でステーキ会食。

それを思えば、「都内が何だ」と勇気が湧いてくる。
この勇気が悪い。

「泥棒=ウソ=正直者」

いま世のなかは、「木の葉が沈んで石が浮く」のだ。
ガースー総理の責任は重い。

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