私が出かけるとき、
「気をつけてね」
と愚妻が玄関先で必ず口にする。
いつものことで気にもかけなかったが、昨日、出かけるときにふと気になり、
「何に気をつけるのだ?」
玄関先で足をとめて訊くと、
「全部よ」
実に大雑把な返答である。
「全部とは、たとえばどんなことを指すのだ?」
「うるさいわね、出かけるときに。全部ったら全部よ。あなたは、ろくなことしないんだから」
最後のひとことに愕然とした。
愚妻の「気をつけて」は、外因に対してではなく、私の「言動」に対するものだったのである。
言葉というのは難しい。
「気をつけて」のひとことは、やさしさと気遣いのあらわれかと思っていたが、そうではないのだ。
同床異夢という言葉があるが、どうやら人間は「同言異意」を生きているということか。
またひとつ勉強になった。