将棋の藤井颯太七段、強いですな。
棋譜をユーチューブで見ているうちに、昔の棋士の対戦や棋譜に興味が出てきて、ついつい見てしまう。
凝り出すと止まらない。
坂田三吉の孫弟子で、破天荒の棋士として知られる升田幸三の本も読んだ。
過日のこのブログで、卓上将棋盤と駒台が出てきた話しをご紹介したが、将棋を指したくなり、愚妻に声をかけたが、
「将棋、知らないから」
「教えるから」
「結構」
相手にされなかった。
そこで、娘に連絡を取るよう愚妻に命じた。
「孫二人のどちらでもいいから、時給2千円で将棋相手を募集せよ」
愚妻によれば、孫二人は色よい返事をしたとのことだが、音沙汰はまったくない。
本当に色よい返事をしたのか、私は疑っているのだ。
私の将棋はヘタの横好きである。
手許にある柘植の駒は、昭和48年5月だから今から47年前、私が大学3年生のときに質流れの店で買ったものだ。
駒を入れる木箱の裏に購入年月日が書いてある。
よく覚えているが、この駒がショーウィンドウに飾ってあり、ここを通るたびに「欲しいなあ」と思っていたものだ。
学生にとっては高価なものだったが、ある日、「よっし!」と気合いを入れ、仕送りの金を握りしめて買いに行ったものだ。
藤井颯太七段のお陰で、そんな記憶も蘇ってくる。
棋聖戦2局で、藤井七段は和服に袴で臨んだ。
そのニュースを見ていて、ふと米沢お召しの袴を持っていることを思い出した。
何年前に購入したか忘れたが、一度も付けたことがない。
「米沢の袴があっただろう」
「自分で探したら」
しようがないから、箪笥を探して見つけた。
仕付け糸がついたままである。
「あったぞ。風を通しておけ」
愚妻に命じると、
「どうして次から次へと思いつきで言うのよ!」
ブチ切れていた。
私が悪いのではない。
藤井七段が悪いのだ。