歳時記

言葉の軽きこと

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日本茶は、私が自分で煎れる。
沸騰したお湯を好みの温度に冷ましたり、茶葉の量を考えたり、湯呑みをどれにするか、あれやこれやが楽しいからだ。

コーヒー、紅茶を淹れるのは愚妻の担当である。

愚妻は電化製品が好きなので、コーヒーメーカーを買ってきて楽しんでいる。
だから「おい、コーヒー!」と命じても、嫌な顔をしない。
「こっちのコーヒーメーカーで淹れたんだけど、味はどうかしら?」
嬉々としている。

紅茶はハチミツを入れるので、愚妻はスーパーであれやこれやとハチミツを吟味するのを楽しみにしている。
だから「おい、紅茶!」と命じても、嫌な顔をしない。
「このハチミツにしみたんだけど、味はどうかしら?」
嬉々としている。

で、昨日。
食事して帰宅し、台所へ行くと、新しいコーヒーメーカーが置いてある。
「ちょっと、見てよ。このコーヒーメーカーは」
いかに優れものであるかペラペラしゃべっていた。

「じゃ、淹れてみろ」

飲んだら苦かった。

「苦い」
感想を口にすると、
「いままでのが薄いのよ」

ものは言いようである。

理屈をつけて新しい機器を擁護していたが、しばらくして、
「水の分量を間違えていたわ」
前言を訂正することなく、ごく当然のように言っていた。

言葉の軽ろきこと鴻毛(こうもう)の如し。

愚妻だけではない。
政府も、メディアも、いま日本に欠けているのは、まさに一言(いちごん)の重さではないか。
コーヒー一杯から世相が見えるのだ。

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