兵庫県のS寺で特別永代経法要のご縁を頂戴し、日曜、月曜と2日間、法話をさせていただいた。
とは言っても、高尚な法話など、私にできるわけでもない。
この歳になれば、自分の「立ち位置」は心得ている。
私の坊主としての役割は、たとえて言うなら「キャバレーの呼び込み」である。
「旦那、可愛い子、いますぜ」
耳元でささやいて店に誘うのだ。
つまり「仏教、面白そうだな」と〝呼び込む〟までが私の役割というわけである。
役割が果たせたかどうかはともかく、お聴聞してくださった年配の男性が、
「浄土真宗を学ぶと何がどう変わるかという話しはよかった」
といったような感想をおっしゃってくださった。
気をつかってくださったのだろうが、「呼び込み屋」としては意を強くした次第である。
というのも、かねて「仏教を学べば、何がどう変わるのか」というテーマを編集者諸氏に提案しているが、反応がイマイチ。
これは仏教に限らず、「それをすれば、何がどうなるのか」という結論こそ物事の本質だと思うし、私の書くハウツー本はこの思考に則っているのだが、テーマが仏教となると理解しがたいのだろう。
そんなわけで、法話では「仏教を学べば、何がどうなるのか」ということを話すのだが、それに対して今回、感想をおっしゃっていただき、「呼び込み屋」としては意を強くして帰途についたというわけである。
新幹線でニュースをチェックすると、非常事態宣言が出されるとか。
これから夜の盛り場は閑散として、火が消えたようになる。
「仏教の呼び込み屋」としては、思わず「ネオン街の呼び込み屋」に思いを馳せた。
「旦那、可愛い子、いますぜ」
というセリフは、人通りがあって初めて成立する。
仏教も同じとなれは、書籍を通じて発信するのが私の役目だろうと、思いを新たにしたのである。