「生まれ方」は、まず同じである。
銀のスプーンをくわえて生まれるかどうかは別として、出産の方法は変わらない。
「死に方」はそうではない。
長患いの末に亡くなる方もいれば、昨日まで元気だった人が突然、亡くなることもある。
死は同じでも、死に方はさまざまなのである。
ご葬儀でいろんな死に立ち会うと、「死に方」ということについて考えさせられてしまう、
私としてはピンピンコロリがいいと思っていたし、多くの人もそう望んでいるようだが、これだと残された人の気持ちの整理がつきにくいようだ。
「何がなんだかわからない」
と、当惑を口にするご遺族が多い。
一方、長患いは世話が大変だが、
「そろそろかな、と覚悟していました」
と、おっしゃったりする。
悲嘆に軽重はないとしても、そういう意味では、適度な「中患い」がいいのかもしれない。
昨日のご葬儀は突然死で、喪主の未亡人は、
「あっけないものですね」
と、ご自身を納得させるように何度もおっしゃっていた。
私は帰宅して愚妻にこのことを話し、
「中患いがいいのかもしれないな」
と告げた。
患うことにも意味があるということを言いたかったのだが、
「ちょっと、やめてよね」
眉間にシワを寄せると、
「あなたは中患いなんてしなくていいの。ピンピンコロリでお願いよ」
逆説なら愛情。
本気で言っているのなら、晩年の人生に暗雲の予感である。