私のことを「口うるさい」と愚妻は批難する。
「階段の壁紙が剥がれかけているから貼っておけ」
「道場の郵便受けを見ているか」
「明日の気温は何度だ」
思いつくまま命じるので、
「口うるさい」
ということになるのだが、私は一度、口にするとすぐに忘れてしまう。
だから、愚妻もシカトする。
シカトするから、ひょいとしたときに私が思い出して、同じことを命じる。
結果、口うるさくなる。
これが「口うるさい」のメカニズムであって、私が悪いのではないのだ。
そう言えば土曜夜の稽古で、
「私がいつも言っているように、腰は落とそうと思わなければ落ちないんだぞ!」
怒鳴ったら、
「そんなこと、いつも言っていた?」
女子高生が、隣の子に小声で問いかけたのが聞こえた。
「バカ者、いつも言っているではないか!」
「言ってないわよ」
女子高生が口をとがらせて、
「言っていないわよ。ねぇ」
周囲に賛同を求め、
「言っていない」
「聞いていない」
と口をそろえて反論した。
私はこのことは口を酸っぱくして注意しているのだ。
それを愚妻の如くシカトしているから、「聞いていない」になるのだろう。
「私は間違いなくいつも言っている。それでもキミたちは聞いていないと言うのか?」
「聞いていないわよ。腰を落とせとは言われているけど、落とそうと思わなければ落ちないとは聞いていない。ねぇ」
「そうよ、そうよ」
屁理屈をこねる。
ああ言えばこう言うで、私をやりこめることが楽しいのだ。
十代のこの子たちは、やがて我が愚妻のように育っていくのだろう。
「女性が輝く社会」という言葉が脳裡をよぎるのだ、
「口うるさい」ということ
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