歳時記

歳を取れば達観に至る

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 このところ、目がチカチカするので、眼科に行った。
 結論から言えば、眼精疲労ということだ。
 涙の流れが悪くなっている。
 加えて、パソコンと睨めっこなので、まばたきの回数が少なくなり、ドライアイのようになってしまう。
 で、処方された目薬をさす。
 楽になる。
 これはいい。
 目薬を何本か処方してもらってくるよう愚妻に命じると、
「本人が行かなきゃだめなのよ」
 と抵抗する。
「バカ者。医者が処方した目薬を、その医者から再び処方してもらうのだから、これほど確かなことはないではないか。それがイヤだと医者が言うなら、処方が間違っていたということになる」
 ということで、強引に眼科に電話させると、
「経過診察をしてからでなければ、目薬の処方は出せません」
 と言われたという。
「経過は、すこぶるよろしい」
「じゃ、行って、そう言えば」
「電話で伝えても同じではないか」
「ダメだって言ってるんだから、ダメなの」
「なぜだ」
「知らないわよ!」
 これが連休前のこと。
 さて、眼科に行って経過説明をすべきかどうか。
 世間はシルバーウィークだと浮かれているが、私は目をチカチカさせながら、パソコンと睨めっこで原稿書き。
 今日は9時から県空手道連盟の審査会があり、弟子を3人ほどクルマで連れて行ったが、会場にいる時間が惜しく、すぐに帰宅して執筆。
 2時30分、再びクルマを運転して迎えに行った。
 日曜日は、私の道場の審査会。
 50名ほどが受審するので、名簿の準備もしなくてはならない。
 そういえば、スーパー銭湯も、日帰り温泉も、とんとご無沙汰である。
 入浴も楽しめないほど忙しい人生は、きっと何かが間違っているのだろう。
 そのことはわかってはいるが、どうにもならない。
 こうして人生は、ある日、突然、終わるのだ。
 先ほど、旧知で、私より年上の元ヤクザ氏から電話をもらった。
 拙著『もうひと花の咲かせ方』を読んでくれたそうで、
「あんたが書いてあること、俺とおんなじ考えだねぇ」
 と、しきりに感心していた。
 人生の不条理に揉まれ、ある年齢に達すれば、人間はある種の達観に至るもののようだ。
 坊主の説法など所詮、自己満足に過ぎないのではないかと、このころ法話の本を読むと、そんな思いにとらわれるのである。

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